かねチャンの旅行記

”こんな世界もあるんだな”をお届中

Journey of self-discovery

大学時代の転機 #5「2度目の長期インターン」【学生最後の日に思うこと。】

大学時代の転機、5つ目。最後になるでしょう。

5. 2度目の長期インターン

ここが、過去の挫折経験から這い上がり切れた場所であり、自信へとつながる経験を積んだ。そして、将来やりたいことと、僕の生きるミッションを考え抜けた場所である。

大学3年次の冬。就職活動を始めだす人が増える時期だ。その時僕は、将来やりたい、確固たる夢が定まりきってはいなかった。また、やりたいことを行動に移すために運営を取り組んだ、セブ島スタディーツアーは翌年3月に控えていた。そのような状況であったので、私はやりたいことを見つけるためにーそれはつまり、就職したいと思う業界、企業を見つけるためにでもあるー、一年間休学することを決意した。

何をするかは具体的には決まっていなかった。ただ、ここで就活をしても、やりたいことが定まっていないので、”後悔ない人生”を歩める自信がなかったからだ。今ツアーを運営している団体で他の企画を始めるか、それとも、どこかでインターンをするか。いずれにせよ、ブラしたくない軸があった。それは、「観光」だった。非日常体験を届けたいという想いがあったのはもちろん、高校時代から”ある縁”を感じていたからだ。それは、大学受験時に、ある大学の”観光学科”を受験していたことである。受験校を考え出す高校3年生の夏、その学科を受験しようと思った深い理由はなかったが、「観光学科って、旅行だよね。楽しそうじゃね?」と思ったのが始まりである。あいにく観光学科には落ちてしまったのだが、その後東南アジアに行き、自分の原体験が「旅」になると、「観光」との縁を感じていたのだ。だから、観光という軸はブラしたくなかったのがある。

そこで、観光系のインターンや、イベントを探していると、興味深いイベントを見つけた。2月に神戸で開催される、インバウンドに関するセミナーであった。一度お会いしたことのある方が登壇するということだったので、会ったら何かチャンスを掴めそうな気がした。「これは行くしかない」と思った。神戸行きのバスをとった。

するとセミナー当日、ある社長にお会いする。話した内容で覚えていることは、”インバウンド系の会社を経営し”ていて、なんと偶然、”僕の大学の卒業生”だということだった。さらに、”会社拡大に向けて、インターン生を募集している”ということだった。「なんてことか!!!」安くないセミナー参加費を払ってまで、参加した甲斐がもうあったではないか!帰ってすぐにお礼を送り、話を聞きたいとアポをとった。

1ヶ月後お会いして、どんなことをしている会社か話を聞き(インバウンド向けのSNSマーケティング企業)、自分もインターンを探していると話した。その後、過去の話(ゼミや、インターンセブ島ツアー)を色々した。特に、”これができる”といった尖ったスキルはなかったが(ビジネス的な視点がわかって、パワポーイントでビジネス資料が作れるくらい)、インターン生として採用して頂けることが決まった。恐らくは、自分の社交的な人間性と、人の良さ(これは後になってわかるが、「いい人」そして、「馴染めそうか」が、採用の大前提であるそうだった)が大きなポイントであったのだろう。これは親に感謝です。

そんなことで、大学4年次4月から、2社目のインターン生活が始まる。ここで忘れてはならないのが、会社は設立2年目のベンチャー企業であるということだ。社員は5人、オフィスは貸しオフィスの一室で10畳ほど、僕は初めてのインターン生。文字通りのベンチャー企業(スタートアップ)であった。インターン生の受け入れ態勢は1ミリもない。インバウンドも、SNSマーケティングについての知識も0。カオスな環境に飛び込んだのであった。この時決意したことが1つあった。それは、「初のインターン生である自分が成果を出す」ということだ。社員にとっては、”インターン生=僕”という印象ができるわけである。今後の会社の成長、それにかかる人材採用(インターンの)を考えると、僕が成果を出して、「インターンっていいね」と思ってもらいたいと思ったのだ。そして、今後入ってくるインターン生のために、自分が受け入れ態勢の整備に、貢献していきたいと思った。

10畳オフィス

窓のない10畳オフィス。向こう2年で、規模拡大のため、2度移転した。

入社して、初めに担当したのは、テレアポであった。初めてのテレアポ、初めは緊張してうまく話せず、中々アポが取れなかったが、1週間すると、トークが板についてきて、アポが取れるようになってきた。その後、営業資料作成や、自社のFacebookメディア運用や、動画の取材・編集と、次々と新しいことを任せて頂けるようになった。さらにその後、Webメディアの立ち上げに関わり、さらには、新規事業のリアル店舗事業を責任者として任せて頂いた。春学期は大学の授業を取りながら週3で働き、秋学期から1年休学したので、週4で働いていた。

中でも最も印象的な業務は、自社のFacebookメディア運用であった。効果測定指標であるアクション率(アクションした数/見た人数)は、当初は7%と、平均値であった。そこから、”何をすればアクション率が上がるか要素分けし”て、”その要素の仮説検証を繰り返し”た結果、3ヶ月後には、平均アクション率の3倍以上である、25%のアクション率を出すことができた。1社目のインターンで思考力の弱さを自覚し、どん底に落ちたが、ここで出した成果は、確固たる成功体験であり、自信につながった。何よりも、ここまで這い上がることができたのが、嬉しかった。

運用していた、ファン10万人の日本旅行紹介メディア

運用していた、ファン10万人の日本旅行紹介メディア。将来見たら恥ずかしくなりそう。

さらに、ある人との出会いで持った、僕の中での目標である「社員へのオファーをもらう」も、達成することができた(これを目標とした理由は、定量的な指標で、成果を出したことを測るためだった。会社に必要とされる=成果を出している、と考えこの目標を設定した)。最終的に、そのまま就職する道は選ばなかったが、今後働く中で、インバンドへの熱が出てきたら、挑戦させて頂きたいと思います。

ここでのインターンで学んだこと(今後も活かせること)は、3つある。

一つは、「成果を出せば、チャンスがもらえる」ということだ。テレアポから始まり、その後、様々な業務を任せてもらえるようになったのは、一つ一つの業務で、成果を出せたからである。

二つ目が、「質の良いインプットをする」ということ。これは、「その分野に長けている人から、何で、どのように勉強すれば良いかを聞いて、インプットをする」ことである。僕はインバウンド、SNSマーケティング、コピーライティングなど知識0状態だったので、社内のその分野で一番上の人に、オススメの本や記事を聞いた。早い段階で成果を出せたのは、質の良いインプットをしたからだった。

三つ目は、振り返りの重要性である。社内にはインターン生の振り返り制度はなかったので、自ら振り返りフォーマットを作って、月末に埋めていた。そこで振り返る項目は、①やったこと、②学んだこと、③できなかったことと、その原因の深堀り、④次月の目標設定、である。これを通して、”できないこと”を一つ一つ、”できる”に変え、そこで得たノウハウを言語化して自分のものにしていくことができた。この振り返りは、就職してからも、続けていきたい。

細かいことを含めれば、無数に挙げられるが、ここでは重要な3つを残しておこう。

そして、デジタルマーケティングの面白さについて、3つ思ったことがある。

一つは、「結果が数字として出てくる」点である。投稿したら、アクション数が必ず数値で出てくる。そこで、仮説検証を繰り返すことで、その数値を上げることができていった。結果が数字として出てくるからこそ、”どうすれば改善できるか”をロジカルに考えられる点が、自分に合っていた。

2つ目は、「仕事とプライベートの境目がない」ことである。暇な時間、インスタグラムを見ていると、必ず広告がでてくるが、これはデジタルマーケティングの仕業。LINEも、YouTubeも、Googleも全部そう。だからこそ、プライベートと、仕事を切り離したくなかった僕にとっては、魅力的だった。

3つ目は、「変化の激しさ」についてである。デジタルは、アプリ内の新機能や、新アプリのリリース、ツールの開発などで、日々めまぐるしい変化をしている。そんな変化の激しい環境だから、飽きずに働いていけると思った。

そして、このインターンを通して、僕自身に対してわかったことが2つある。

1つは、物事の結果だけではなく、「プロセスも楽しみたいタイプである」ということだ。過去のセブ島ツアーまでは、”こういう世界観を作りたい、だからツアーをする”、という考え方であった。一方、このインターンでは、海外の人に日本の〇〇を知ってらもうという結果(ゴール)を実現した状態そのものよりも、それを実現する手段である、デジタルマーケティングにワクワクしていたことがわかった。

もう1つが、マーケティングの考え方が、僕自身の指向性にマッチしていたことである。マーケティングを勉強した中で、「マーケティングとは、物が売れるための仕組みづくり」であるとあった。なるほど、押し売りをするのではなく、”自然と物が売れてしまう(消費者が自然と買ってしまう)ような仕組みを作ること”なんだと知った。無理な押し売りが嫌いな僕は、この合理的で、かつ本質的な考え方に大共感した。この考え方が、すんなりと僕の中に入ってきた。「マーケティング」が、金親敬寛という人間が、達成するべきミッションであると思った。

ここまで書くとわかるように、僕は、マーケティング、とりわけデジタルマーケティングにどハマりしたのであった。そして、就職先も、デジタルマーケティングの企業を選んだ。

この2社目でのインターンの経験は、僕を強くしてくれ、そして、生きる指針を見つけることができた場であった。自由に、のびのびと働かせて下さり、当初何もできない自分を受け入れて下さり、本当にありがとうございました。ここでの経験を活かして、活動してきます。

納涼船での集合写真

毎年恒例の納涼船

(大学時代の転機 #5「2度目の長期インターン」 終わり。)

大学時代の転機 #4「セブ島ゴミ山ツアー」【学生最後の日に思うこと。】

続いては4つ目。

4. セブ島ゴミ山ツアー
前節でも出てきたが、インターンの業務にも相乗効果があり、後に、僕のやりたいことを、行動に移せた場となる。

その団体を知ったのは、大学2年の3月頃。ユニークなのは、経営を学びながら、その知識を活動にアウトプットしていくというものだった。インターンをやっていたこともあり、経営、とりわけ事業におけるファイナンス面には関心があった。そして活動面では、海外にゲストハウスを作る事業と、ツアー事業をしていた。

そこで、この団体に所属して、経営戦略、マーケティング、PR、ファイナンスの4つを軸に学んだ。学んだ40の基礎項目があれば、ほとんどの世の中のビジネスモデルや、マーケティング戦略を、体系的に理解することができるようになっていた。

活動面では、団体で年に2回運営している、セブ島スタディーツアーに参加した。楽しさ×学びをコンセプトに、海外という非日常空間で、自己成長をしよう、というものだった。しかしはじめは、乗り気ではなかった。前年には、ゼミで東南アジアに行っていたし、インターンでビジネスもしているし、自分が対象ではないように思えた。参加者というよりは、むしろ運営側であっても良い気がしてならなかった。それでも、先輩に「金親くんは絶対に行った方がいい。」と押されて、しぶしぶ参加することに決めた。しかし、この時はまだ、夢への一歩を踏み出していることに、気づいてはいなかった・・

10日間の滞在のメインは、3日間の個人企画というものだった。これは、参加者各々が0から企画を考えて、セブ滞在の3日間で実行するというもの。ルールはなし。与えられた3日間、どう使うかは全て自由であった。

渡航2ヶ月前くらいから研修が始まり、運営メンターとともに、企画を考える。おそらく初めは、しょうもない企画を考えていた(その内容すら覚えていない)が、メンターとの自己分析を通して、「ツアーをやってみよう」となった。

話は、前年の今頃になる。ゼミでの海外研修旅行と通して、僕は2つのことを感じた。「自分は自分、人は人。幸せとは自分で感じるものである」と「一生に一度きりの人生を、やりたいことをやって、後悔なく楽しく生きたい」である。(大学時代の転機#2 参照。)

kaneeeetaka.hatenablog.com

後者からいくと、”やりたいことをやる”と考えた時、死ぬまでには仕事をする時間が大半を占めると思い、やりたいことを”仕事”にしたいと思うようになった。そこで、これまでの自分を振り返った時に、最も人生観が変わった経験だったのが、東南アジアで感じた2つのことー「自分は自分、人は人。幸せとは自分で感じるものである」「一生に一度きりの人生を、やりたいことをやって、後悔なく楽しく生きたい」ーだった。

他方、学科やサークルの友達を見ても、夢がある人はほとんどいなかった。僕も、東南アジアに行く前は、同じだった。そして僕は、東南アジアという非日常体験を通して、将来に向き合うきっかけを得た。だったら、”非日常体験を通して、彼らが夢を見つける原体験を作りたい!”と思った。この自己分析を通して、「スタディーツアーの中で、ツアーを作る」というユニークな個人企画が生まれた。過去50名ほど参加しているスタディーツアーらしいが、個人企画でツアーを作るというには、僕が初めてらしい。前代未聞の挑戦が始まった。

それから、ターゲットを考えて、コンテンツを考えた。時間が過ぎるのも忘れてしまうほど、没頭していたのを覚えている。自分の想いを、形にするチャンスが来たのだから!

そして、スタディーツアーが始まった。ツアー(個人企画の)の内容は、「セブの語学学校に通う日本人向けに、非日常を体験をする」ツアーである。具体的には、セブにあるゴミ山を訪問するというものだ。セブ島はごみ処理施設が追いついておらず、海辺には”ゴミ山”という文字通りに、ゴミの積もった山が続いている。参加者が、日本では見ることのないゴミ山を見て、何かを感じ、できればそこから行動を起こしてもらう、というのがゴールであった。

語学学校の守衛のおっちゃんと。集客手伝ってくれてありがとう。

集客に苦労しながら(語学学校をはしごしながら、3日間で80名近くに声をかけた)も、ツアー決行日には、4名の参加者が来てくれた。3人の日本人と、1人はタイ人だった。そして、ゴミ山に向かった。

フィリピン・セブ島のゴミ山

目の前に広がるゴミの山。近づくと、徐々にきつくなる臭い。彼らにとって初めて見るゴミ山だった。

帰りのジプニーで、彼らと色々話をした。2人は就活生ということで、すでに将来を見据えて行動をしていた。1人は一年生だが、芯のある生き方をしている子で、目的を持って語学留学に来ていた(最後のタイ人は社会人であった)。結果として、ツアーのゴールである「日本では見ることのないゴミ山を見て、何かを感じ、できればそこから行動を起こしてもらう」に対しては、すでに自ら行動を起こしている4名だったため、失敗であった。理想のターゲットに参加してもらえなかったからだ。

ただ、ツアー企画を通して学んだことは、2つある。

一つは、「やりたいことは、意外と簡単に行動に移せるものである」ということ。「海外でツアー企画をする」と聞くと、壮大なことのように聞こえるが、準備をすればできた。特に今回は、自分の想いを、行動に移した初めての経験だった。頭でっかちに考えて行動しないよりも、完璧じゃなくていいから、doすることの価値を学んだ。貴重な成功体験となった。

もう一つは、「想いは行動に移すことで、ゴールに近づく」ということ。今回のツアーは、目標に対しては失敗ではあった。しかしそこから、目標達成するには”何が足りないか”を知ることができた。今回は、理想のターゲットと、実際の参加者の相違。では、理想のターゲットに参加してもらうためには、どうすれば良いか、を考える。それが、僕の課題であることがわかった。

結果は失敗に終わったが、僕の中では、想いを行動にする、初めての成功体験となった。参加を渋っていた僕に、ゴリ押しして下さり、ありがとうございました。

帰国後色々と振り返り、一つ決心したことがあった。それは、次回のスタディーツアーを運営したい、ということだった。実際にセブでツアーをやってみたことで、ツアーは楽しかった。一方で、僕が価値提供したい対象は、”まだ将来について考え出せていない人”であった。そしたら、このスタディーツアーという非日常体験を通して、原体験を届けたいと思ったのである。即決である。

そして、運営になり、参加者の個人企画の作成に寄り添った。その人のバックグラウンドを書き出して、今どんなことを思っていて、今後どうなりたいのかを聞き出す。それを元に、やりたいこと、または克服したい点を共に考える。それを、企画という形に作り出す。このプロセスが、楽しかった。相談乗った相手には、「相談乗るの得意だね。みるみる話がでてきちゃうわ。」と言われる。

担当したある子は、”考えることはできるが、頭でっかちになりすぎてしまい、やりたいと思うことも、行動に移せない”、という悩みを抱えていた。そのため、彼女の思考という強みをより活かせるように、”行動力”を養ってもらいたいと考えた(思考×行動で、結果が生まれる)。そこで、彼女の関心分野である宗教を軸に、「フィリピン人の宗教観に関するアンケートをする」というものを共に考え出した。

実際に彼女は、フィリピンの炎天下の中、44人もの人からアンケートをとることに成功した。そして帰国後には、アンケート結果の報告会を、0から企画をして、開催していた。

これを聞いた時に、とっても嬉しかった。そして、「おやぶん(僕のこと笑)のおかげで、吹っ切れて行動できるようになった。」と言われて、心の底から嬉しかった。

しかし、僕は同時に、何か物足りないのを感じていた。
・ツアーだと、一度に価値提供できる人が少ない
・やりたいことではあるが、これを一生やり続けても、自分が楽しくなさそう。今の自分ができることを、やり続けるのは刺激がない。もう少し背伸びをしたい、できないことに挑戦をしたい
こんなことを感じていた。

逆にとれば、これらも、実際に行動したからわかったこと。想いを行動に移したから、より自分の理想像が明確となった。行動して間違いはなかった。

「観光という非日常体験を通して、何かしらの気づきを与えたい。」これは根底にあった。ただその時は、どんな手段があるか、思いつかなかった。その後、運命の出会いをするまでは・・

青春。今でも部屋の目につくところに置いてある。辛い時に頑張る糧

ゴミ山ツアー参加者たち。今頃何してるんだろう・・

タツア報告会にて。ゴミ山ツアーを80人もの前で発表させて頂いた。思うことは、今でも変わらない。

(大学時代の転機 #4「セブ島ゴミ山ツアー」 終わり。)

大学時代の転機 #3「初めての長期インターン」【学生最後の日に思うこと。】

続いて3つ目。長期インターンについて。

ゼミでは、一人一役職を担当するのだが、そこでTeaching Assistant(TA)、いわば先生の授業での助手をやっていた。これがまあ何とも忙しく、履修していない授業でも、先生の授業には全て出なければならない。多いときは、週4日計6コマは、先生の授業を受けていた。それ以外にも、ゼミ生の課題提出状況管理(年間でレポート100件提出が一人当たりのノルマ)、授業の準備(ビデオデッキのセッティング、マイクスピーカーの調節、先生の用お茶(綾鷹に限る)の準備)、先生のお供(御年70歳)等々。今思えば、ただのTAではなく、良く言えば社長秘書、悪く言えば雑用係だった。頭の8割はゼミのことで常に頭がいっぱい。彼女と会う時間もうまくやりくりできていなかった。

しかし、このTAには立候補して、なった。もちろんこの忙しさは知っていた。それではなぜ自ら名乗り出たか?

実は大学2年次が、この変わったゼミ教授(前節「#2 ゼミ教授との出会い」参照)の、教員生活最後の一年だったのだ。すると、せっかく2年制(2、3年次)のゼミに入っても、この凄そうな教授に教わることができるのはたったの一年。となると、この先生の一番近いところで学びたいと思い、側近であるTAになろうと立候補したのだ(もちろん、先生がもう一年いたら、立候補はしていなかっただろう。2年間も、この雑用係りを務める覚悟はなかった...これを先生に見られたらちょっと怖い笑)。

そんなんで、僕のTA生活は始まった。毎日来る先生からのメールを返し、授業のアシスタントをする。授業で流す動画をスムーズに再生できずにいると、「バカヤロー!!!」と飛んでくる罵声(Wi-Fi環境も中々に最悪)。繰り返すと、「本当に使えないねえ。」としっぽり言われる。授業が終わると、翌朝5時までに、授業所感をメールで提出(まさに会社)。提出できていないゼミ生には、提出するようプッシュする(毎回同じ人...)。

そんな生活を半年間続けていたある日、あるゼミOBから声がかかった。「うちの会社で、長期インターン生として働いてみない?」ということだった。

このゼミは、20代にも続くゼミで、OBOG全員を含めると200名のネットワークであった。そのOBOGと現役ゼミ生交えて、毎年OBOG会や、追いコン、クリスマスパーティーなど、年3回ほど集まる会があった。そこで、僕のTAとしての働きぶりをみて、長期インターンのお誘いをしていただいたのだ。

当時の僕からすると、「なんか良さげなチャンス掴んだ!」とワクワクした。それまでのアルバイトはレストランだった。”長期インターン”という存在を知ったのも、この時が初めてだ。当時の僕からすると、”学びながら働けて、おまけにお金も稼げる”というのは、非常に輝かしかった。

会社は、教育系のベンチャー企業ということだった。特に教育には興味はなかったが(後に強い関心分野となる)、せっかくお誘いいただき、断る理由もなかったので、軽い気持ちで採用面接に行った。そして、2度の面接で、高校時代までの生き方や、ゼミ活動の話をして、合格を頂いたのだ。

それから本格的に業務が始まった。はじめに担当したのは、立ち上げから半年ほどの新規事業で、長期インターン紹介サイトの、法人営業であった。事業メンバーは合計で8人ほど。サイトを作り込むチームと、営業チーム。僕のいた営業チームは、総合商社出身で、その後世界放浪して入社したという社員(とてもエネルギッシュで、人間味が深すぎる素敵な方)と、大学3年生の先輩インターン2名と、僕の計4人だった(ちなみに、僕を誘ってくれたゼミOBは、サイト制作チームの社員。元コンサルティングファーム出身、クールでかっこいい方)。入社当時、具体的にやっていたことは、営業メール文の作成で、どんな訴求を、どんな文章で、どういう頻度で行うと、返信率を上げれるかという業務だった。

この時に気持ちとしては、周りの大学生が経験できていないような貴重な体験できてるなと思いながらも、特に楽しい!という気持ちでやっているわけではなかった。理由はシンプルで、教育に興味があったわけでもなく、誘われたから働いている、という軽すぎるマインドセット(業務への目的意識)であったからだ(本当に今だから言える)。さらには、当時19歳の僕のスキルと知識に対して、課題のレベルが高すぎたのもあるだろう。フィードバック時に、「ロジカルに考えてる?」と言われ、「ロジカルって何?」となったくらいだ。人材会社にいながら、リクナビの存在もしらなかった。読むように勧められた本も、最後まで読みきれなかった(今では、良書3選に入る本)。スキルも無いのに、それを養おうとするマインドセットもない。誘ってくださったOBの方の期待も裏切ってしまった。会社にとっては、ただのお荷物であった。そんな状態が、半年くらい続いた。これが、人生最大の挫折である。

その後、いくつかの機会があり、僕の業務への向き合い方が変わる。海外プロジェクト(次編に記載)、本、毎月の面談、インターンの同期。それらを通して、最後は自分のやりたいことを見つけて、退社した。

そんな貴重な”機会”を書き残しておきたい。はじめに、本について。

まずは、「思考」というものに向き合ったこと。「思考」というものを理解して、それを、日常に落としこみ、業務で活用する。その時読んだのは、『ビジネス思考法 使いこなしブック』(吉澤準特著)である。ビジネスで使われる思考法には、3種類①ロジカルシンキング、②ラテラルシンキング、③クリティカルシンキング、がある。その3つを使いながら、仕事をしているということだった。これを理解できたことで、社員の思考回路や、フィードバックを少しずつ的確に理解できるようになった。

ビジネス思考法使いこなしブック

ビジネス思考法使いこなしブック

  • 作者:吉澤 準特
  • 発売日: 2012/07/28
  • メディア: 単行本
 

(持っているので、読みたい人いたら貸します↑) 

その次に、身につけた「思考」を持ってして、「ビジネス」というものにも向き合った。どうすれば、売れる事業を作れるのかという、ビジネスの基本についてである。読んだのは、『ドリルを売るには穴を売れ』(佐藤義典著)である。有名な書籍でしょう。これを読んで、3Cや、4Pをはじめとした、マーケティングから商品開発までの流れを知ることができた。これは、新規事業開発チームに所属していたので、活かせる点が数多くあった。

ドリルを売るには穴を売れ

ドリルを売るには穴を売れ

  • 作者:佐藤 義典
  • 発売日: 2006/12/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

他にも、
イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)』(クレイトン・クリステンセン著)で、イノベーションはもちろん、世の中の業種を知り、
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』(マイケル・サンデル著)で、哲学や正義を理解し、その過程で思考力を養い、
ロジカル・プレゼンテーション――自分の考えを効果的に伝える戦略コンサルタントの「提案の技術」』(高田貴久著)(1回目は読みきれなかったやつ)で、ロジカルシンキングの理解を深め、提案について学んだ。
(全部持っているので、読みたい本あったら貸します↑)

これらは、上長である、元コンサル出身社員(ゼミOB)や、元総合商社出身社員からオススメされた本である。今思うと、当時の僕に必要で、ちょっと負荷をかけさせてくれるような良書であったと思う。このころは、月3冊読むことを目標にしていた(今はやっていない...)。

次は毎月の面談。毎月1時間、上長であるゼミOBの方(元コンサル)との月次面談があった。ここでは、業務への取り組みのフィードバックと、自分の将来の夢についても向き合ってくれる時間であった。ここでも、ゴリゴリに詰められる。振り返りや、目標設定がロジカルではないと、「どういう意味?」「アクションプランがアクションプランになっていない。具体的な行動に落とし込まれていない。」と。時間内で終わらないと、翌週再面談ということもあった。ただ、ここまで時間をかけて、丁寧にフィードバックを下さるのは、本当にありがたかった。自分にはもったいないと思いながら、その機会を存分に活用した。教育を本当に大事にしている会社であった。

そして、同時期に入った、インターン同期2人も刺激的であった。2人とも高校時代から自我が確立していて、生きている世界が数百倍広かった。はじめから優秀で、比べ物にもならなかった。しかし、いい人たちで、業務へのマインドが弱かった僕のことも気にかけてくれていた。辞めた後も、たまに近況報告し合う、仲である。彼彼女が常に成長していることを考えると、負けてられなくなる。2人はまだまだ先にいて、先に行くスピードも速い。書いている今も、いい焦りを感じる。偶然にも、新卒では、全員デジタル系の会社に入る。いつか一緒に仕事ができたらいいなと思って、励んでいきたい。

そんな契機を経て、最後に担当していた新規事業開発チームでは、”大学生が将来に向き合うきっかけを作る”事業案を考えていた。そこで、自分の過去・東南アジア訪問(下記参照)が重なり、事業案作りに没頭していた。めちゃめちゃ楽しかった。

kaneeeetaka.hatenablog.com

 最後は、当時の会社の事業計画的に、事業立ち上げとはならなかった(10億円の規模の事業を作ることが、新規事業開発チームに求められていることだった)。けど、個人的には満足できた。ビジネスモデルを考えて、資料に落とし込んだ。ビジネスモデルや、資料づくりは、上長や同期からも、評価された。何よりも、ビジネスの観点で、将来やりたいことに向き合えたことが良かった(この経験を経て、後の海外プロジェクトで、実際にこのビジネスモデルをアクションに移すことができた。次節はその話について・・)。

正直、この程度のレベルじゃ、一インターン生として、マインドセットができていなさすぎる。ベクトルが、会社ではなく、ほぼ全部自分に向いている。そもそも、成果も出せなかった。

しかし、当時の僕にとっては、人生レベルで貴重な経験となった。偶然ゼミOBからチャンスをもらい、ロジカルシンキングもしらないまま会社に入り、その中でビジネスというものに初めて触れて、自身の思考を成長させることができた。運がいい?。いや、それだけではない。ゼミTAとしての活動を評価してくれている人がいて、そこにチャンスが来たのだ。その後、挫折を経験し、その悔しさを糧に、這い上がった。食らいついた。最後は、当事者意識を持って、仕事をすることができた。受動的な生き方ー敷かれたレールの上しか歩いてこなかったーから、初めて主体的ー自ら行動を選択し、自ら手を上げるーな生き方なりかけることができた(その後の活動を通して、主体的になる)。今後生きていく上で、貴重な経験をさせていただいた場所だった。このどん底の経験、そしてそこから這い上がった経験は、今後壁に直面した時に思い出し、自分を奮い立たせたい。

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新規事業開発チームの皆さん

(大学時代の転機 #3「初めての長期インターン」 終わり。)

大学時代の転機 #2「ゼミ教授との出会いと、東南アジア海外研修旅行」【学生最後の日に思うこと。】

大学時代の転機。続いては2つ目(あと何個あるんやろ)。

 

2. ゼミ教授との出会いと、東南アジア海外研修旅行

ゼミ教授は、僕の人生の師になるかもしれない、偉大な教えを下さる方である。

初めて出会ったのは、1年次に受けた学科のとある授業にて。綺麗に整えた白髪に、ノーカラーのシャツを着た先生は、90分間の授業中、一度もチョークを持たなかった。したのは、動画を見せて、その感想を1分内で生徒に発表させただけ。それを10週繰り返して、春学期の授業は終わった。なんとも風変わりな授業である。

僕もある授業で、指名され感想を発表する1分をもらった。
「はい、3点あります。」
そう、この先生の授業では、まず初めに、「はい、3点あります。」と言わなければならない。たとえ、感想が3つなくても。1つ目で、肯定的な意見、2つ目で、否定的な意見、3つ目で、自分の考える意見を述べる、という教えだ。

「はい、3点あります。一つ目に〜〜〜。」
しかし、僕の考察があまりにも甘かったようだ。何と言われたか正確には覚えていないが、とにかく中学生程度の考察を発表をしたらしい。この時の、めちゃめちゃ悔しかった感情だけは、覚えている。

その後ゼミ選考の時期に入り、各ゼミのイントロダクションの会があった。そこには、さっきの風変わりな授業をする教授のゼミもあった。そして、そのゼミの紹介の番になると、ゼミ生が一大プロジェクトだという、海外自主研修旅行のPV動画を流した。その時、僕の鳥肌がたった。
「かっこいい...」

それは、教授が同伴しない3週間の海外研修。研究テーマのもと、ゼミ生自らアポを取って、企業ブリーフィングをセッティングし、東南アジアを回る。そして、各ゼミ生がの自身の夢を見つけて帰ってくる、というものだった。この動画を見た瞬間、「このゼミに入りたい。」と思った。ゼミの専攻内容は国際開発協力論というらしいが、そんなものには興味がなかった(怒られる)。動画を見た時の感動、自分もこれになりたい、夢を見つけたい。それが先行した。そして、少しの教授を見返してやりたい、という気持ちもあった。

そして、いざゼミに入り、大学2年夏、初めて途上国・東南アジアに降り立った。そこで、これまでの人生の中で、最も価値観が変わる経験をした。

レストランで働きながらスマホをいじる姉ちゃん、笑顔でフォーを作ってくれる屋台のおばちゃん、決して裕福では無いが、家族との時間を大切に過ごす人々。そんな彼彼女らを見た時、心のストッパーが外れた気がしたのだ。日本にいると、”人はこうあるべき”みたいな規範が強かったり、”幸せとはこうあるべき”みたいなものが、当たり前だと思っていた。

しかしそれは、日本という中で通用するものであり、世界を見たら、そうではなかった。もっというと、日本という中で確かに通用するかもしれないが、それは強制ではない。その人次第である。そう思った時、心が一気に軽くなった。僕を制限していた”型”が外れた。19年間日本で生まれ育った僕は、人の目を気にしながら目の前の行動を選択して生きてきた。しかし、国を超えれば、自分とは違った、多様な生き方をしている人がいる。みんなちがって、みんないい。この言葉がぴったり当てはまった。

ラオスビエンチャンの山奥の村であったご家族。ご飯も振る舞って頂きました。次来た時に開けると言って置いてきた南京錠、まだ持ってるかなあ。

もう一つある。

ラオス大自然で、飛び込みをしたり、バイクで駆け回ったり、3時間山道をサイクリングしたり、川を永遠に眺めていたり。そんな瞬間が、シンプルに楽しかった。これまでしてきた遊びで、最も楽しく、心と体が興奮していた。そこで思ったのが、「世の中にはこんなにも楽しいことがあるからこそ、一生に一度きりの人生、やりたいことをやって悔いなく、楽しく生きたい。」ということだった。僕の場合は、日本でもできるようなアクティビティーを、たまたま海外で初めて体験して、それがどハマりだった。つまり、日本、海外など場所云々ではなく、「初めて体験すること」が、僕の世界を広げてくれた。その初体験が、僕の中に眠っていた好奇心を、人生の楽しみを呼び起こしてくれた。この体験が、人生を後悔なく、本気で楽しみたいと思わせてくれた。

それ以降は、どんなことでも食わず嫌いせず、機会があればやってみるようにしている。おかげで、登山沼にどハマり中。

そして、これをきっかけに、将来の夢についても、本気で向き合い始めることができました。

ゼミ海外研修にて。最後の集合写真

ラオス・クアンシーの滝にて。日本だと、危なくて通行禁止でしょっていう道も、通行可能なんですね。

(大学時代の転機 #2「ゼミ教授との出会いと、東南アジア海外研修旅行」終わり。)

大学時代の転機 #1「同期4人との出会い」【学生最後の日に思うこと。】

まず一つ目。大学時代の転機。

5年間で、数え切れないほどの、自分に大きな影響を与えた経験をした。高校時代の自分からすると、今の自分が考えられない(ただ、正確にいうと、”変わらないこと”の境目が曖昧にもなっている。その意味で、先の自分のために、今の自分を残している)。

そんな大学時代の転機を、時系列を追って書いてみよう。

 

1. 同期4人との出会い

同期4人(自分含め)は、大学5年間ずっと付き合っている。彼らは、アツく、個性を持ち、腹を割って話せる仲である。

彼らとの出会いは、大学1年のイギリス研修である。半年間のプログラムで、チームとして目標に向かってを共に過ごした。その後、なんとゼミも同じになり、それからの2年間も濃い時間を過ごした。

 

僕は大学1年の時、特に大学生活に対する意欲はなかった。普通にバイトして、サークル行って、飲み会してというTHE・大学生な生活を送っていた。

そんな中、彼らと開催するボリ飲み(外濠公園で飲むこと)で、ちょっと真面目な話になった。一人は、国際協力機構(JICA)のプログラムに没頭し、一人は、ネパールでトイレ掘るという、国際協力ボランティアとして活動していた。もう一人も、後から聞くとNGO活動に励み、日々企業へ営業しているとのこと。

その時抱いた気持ちは今でも覚えている。
「なんか、みんなすげえ。自分には無いもの持ってて、ちょっと羨ましい。」

その後僕も、翌年東南アジアに行ったことをきっかけに、人生に意欲的になりだす(後に記載)。そんな時、彼らに相談したこともあり、それから、相談されることもあり。お互いに刺激し合い。

今では、何でも本音な話を聞け、本音な話ができる仲である。

一人は4年で卒業し、一人は僕と同じ5年で卒業し、もう一人は大学6年目(2度の留学という、いい意味での6年生)に突入しようとしている。環境は違うけど、今でもLINEグループは頻繁に動いている。ああでもない話をしている。

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大学2年次夏

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大学2年終わり

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大学4年次終わり

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大学5年次夏

これからも一生、刺激し合いたい仲間である。

(大学時代の転機 #1「同期4人との出会い」 終わり。)

学生最後の日に思うこと。

3/31。
生まれて初めて社会人(正社員)になる前、最後の日。
学生にはこの先何度もなり直せるから”学生最後の日”ではない。けど、”生まれてきて初めて社会人になる前の最後の日”は、今日しかないから、特別な一日であると思う。

 ・

そんな今考えていることは、大学生活を残しておきたいということ。
なぜか?この5年間で初めて経験したことは沢山ある。その時の感情を、この先の自分が思い出せるよう、少しでも残しておきたい。もしかしたら、自分が人材系の会社に行って、今の自分のような人をターゲットに仕事をするかもしれない(可能性はある)。子供ができて、今の自分と同じような悩みがあるかもしれない。もしかしたら、自分が有名になって、大学時代の金親みたいなものに気になる人がいるかもしれない。そんな時に役立てばいいな、という思いです。
これから働く中でもっと刺激的な経験があると考えると、この大学生活の記憶は薄まってしまうかもしれない。そこで、このタイミングで書き残しておこうと思いました。

 ・

とりあえず、書いておきたいのは、

・大学時代の転機

・挫折と、そこからどうなったか

・大学時代に学んだこと3つ

・価値観。信念

・今後どう生きていきたいか

この5つについて、徒然なるままに残していこうかと思う(気によっては変わる。最終的にどうなるか、自分でも楽しみだな・・)。

 

Toこれを読もうとする人へ。

僕という人間を知るにあたっては、いいものかもしれません。ただ、これはあくまで2020年3月31日までの僕。後2つについては、変わるところもあるだろう。とりあえず、大学時代の金親だと思って、見てやってください。良かったら、自分の大学生活と照らし合わせてみてください。他人を通して、見える自分もいると思うので。

 

誰が読むわけでもなく、自分が書きたいと思うから、書く。

では始めよう。

【18きっぷ】日帰り温泉&無料ワイン試飲の山梨旅行〜1日で3,880円分乗りこなすには?(東京発勝沼ぶどう郷着)〜

こんにちは〜かねチャンです!
みなさん、今年はどのように18きっぷをお使いでしょうか??

 

楽しみ方は多種多様な18きっぷ
今回は18きっぷで、のんびり旅を楽しみたい方に向けて、

山梨にある200種類以上のワインのテイスティング体験絶景の展望つき温泉の両方を1日で楽しめるスポットをご紹介します! 

青春18きっぷとは?

18きっぷ 青春18きっぷ(通称、18きっぷ)とは、1日2,370円で、全国のJR線が乗り降り自由になるお得な切符のことです。

18きっぷは、5枚つづり(=11,850円)であるため、一度購入すると、1日乗り放題券が5回分あるということになります。

なお、一年の中で利用できる期間が設けられているため(具体的には、春夏冬の長期休暇の期間中がメイン)、詳しくはJR東海のHPをご覧くださいませ。

青春18きっぷJR東海 公式ページ)→https://railway.jr-central.co.jp/tickets/youth18-ticket/

今回の旅先「勝沼ぶどう郷」駅とは?

勝沼ぶどう郷駅 外観
今回の目的地は、山梨県にある「勝沼ぶどう郷(かつぬまぶどうきょう)駅」。

ここは、ぶどうの生産量全国1位の山梨県の中でも、特に有名な産地なのです。駅名に”ぶどう”が入っちゃうくらい!

あちこちにある農家で買えるぶどう

▲町を歩くと、あちこちにぶどう農家が。

ワイナリー

また、ぶどうの加工品として人気なものといえば、やっぱりワイン
ここ勝沼には、山梨県の中でも、最多のワイナリーを誇ります。ワイナリーでは、無料でワインの試飲をさせてもらえるので、ぜひみなさんのお気に入りのワインを見つけてみてください!

それでは早速、勝沼へ行ってみましょう!

ワインと温泉を楽しむ18きっぷ日帰り旅

 東京(新宿)からのアクセス

新宿駅

✔︎利用駅:新宿→高尾→勝沼ぶどう郷

ICカード利用の場合、往復3,888円(片道1,944円)なので、
18きっぷ一回分(2,370円)の方がお得ですね!

★土曜・休日限定のおトク情報★
土曜・休日限定で、高尾駅での乗り換えなしでいけるホリデー快速ビューやまなし号」という臨時特急が運行しています!

ホリデー快速「ビューやまなし号」
これは、特急料金などの課金は一切不要で、18きっぷでも利用できます

車内にはボックス席があります

ボックス席のため、旅行気分をより一層味わえますね♪

ただし、運行時間は、新宿駅9:02発のみ
利用する場合は、時間に気をつけてご利用くださいね。

✔︎所要時間

・通常列車(乗り換えあり)の場合:2時間前後

・【土・休日9:02限定】ホリデー快速(乗り換えなし)の場合:1時間37分

実はかねチャン、元々ホリデー快速の存在を知らなかったのですが、たまたまホームに止まっていこの列車を見て初めて知りまして、、
停車駅も少ないので、早くて楽でした〜〜〜!

勝沼ぶどう郷駅

あっという間に、勝沼ぶどう郷駅に到着しました。
それでは、メインの勝沼でのオススメの過ごし方をご紹介します!

 

おすすめスポット

ワイナリー巡り

オススメスポットの1つ目が、ワイナリー巡り。
山梨の中でも最多のワイナリーを誇る勝沼には、駅からバスで約20分の所に、ワイナリーの集落があります。

 

お店によっては、無料のワイナリーツアーや、試飲を実施している所も多々あります。
そこで今回は、かねチャンが訪れた2つのワイナリーをご紹介します。

①シャトーメルシャン

シャトーメルシャン 外観

一つ目が、様々な体験施設が充実している「シャトーメルシャン」です。

ここでは、ワインショップでワインが買えるのはもちろん、
・ワインテイスティングカフェ(有料・予約不要)や、
・ワインの貯蔵施設や、ぶどう農園を巡るワイナリーツアー(有料・要予約)、
・ワイン資料館(無料・予約不要)
など、コンテンツがもりだくさん!

 

ワインの製造方法や歴史を学んで、ぜひ今度の飲みの場で、話のネタにしてみて下さい!

 

●シャトーメルシャン

・住所:〒409-1313   山梨県甲州市勝沼町下岩崎1425-1
・アクセス:
勝沼ぶどう郷駅から、バスで停留所「ワイン村河川公園前」下車(所要時間8分。300円)。そこから、徒歩4分。
または、勝沼ぶどう郷駅から、タクシーで8分
・営業時間:9:30〜16:30
(一部施設は10:00〜16:30のため、詳しくは下のHPをご確認ください!)
・休業日:火曜日、年末年始
・ワイン試飲:あり(有料)
・公式HP:https://www.chateaumercian.com/winery/katsunuma/index.html

 

②蒼龍ワイナリー

蒼龍ワイナリーの外観2つ目が、無料でワイン試飲ができる、「蒼龍(そうりゅう)ワイナリー」です。
上のシャトーメルシャンから、歩いて3分の所にあります。

試飲用のワイン
蒼龍ワイナリーでは、冷蔵庫内のワインが、全て無料で試飲ができます!
店内で販売しているワインがほぼ全て網羅されているので、購入前に味を確かめられるのはかなり嬉しいですね♪

ワインの試飲

▲ワインの試飲。ナイヤガラ美味しかった。

ショップコーナーワインは、種類が多様なのはもちろん、サイズも大小用意されているので、お好みのサイズを買うことができます!

ワインセラー
地下にあるワインセラーも、無料で自由に見学が可能!
中で稼働している空調機を見ると、丁寧な温度管理でワインを貯蔵されているのが、一目でわかります。

また、試飲用の冷蔵庫には、店内で販売されているぶどうジュースもあったので、お子様でも退屈せずに楽しめるワイナリーだと思いました!

●蒼龍ワイナリー

・住所:〒409-1313  山梨県甲州市勝沼町下岩崎1841
・アクセス:
勝沼ぶどう郷駅から、バスで停留所「ワイン村河川公園前」下車(所要時間8分。300円)。そこから、徒歩4分。
または、勝沼ぶどう郷駅から、タクシーで8分
・営業時間:8:30〜17:00(日・祝は9:00〜17:30)
・休業日:年末年始
・ワイン試飲:あり(無料)

もっと詳しく知りたい方はコチラもどうぞ。
▼蒼龍ワイナリーとは?
http://www.wine.or.jp/soryu/

ワインカーブ

ワインカーブ
続いては、コスパの良いワインカーブです。

ここでは、たったの1500円で、地下にある200種類以上のワインを、時間無制限テイスティングし放題なのです!

テイスティングは自由にし放題!

200種類のワインがある
これだけ種類があれば、お好みのワインにも出会えるはず!!

かねチャンが入った時には、すでにお酒で出来上がっている方もいましたw
美味しいからと言って、飲み過ぎには注意してくださいね...!

●ワインカーブ

・住所:〒409-1302  山梨県甲州市勝沼町菱山5093
・アクセス:
勝沼ぶどう郷駅から、バスで停留所「ぶどう丘」下車(所要時間2分。300円)。そこから、徒歩0分。
または、勝沼ぶどう郷駅から、徒歩20分弱。
・営業時間:9:00〜17:30(最終受付は17:00)
・料金:1,500円で、時間無制限ワイスティングし放題
・公式HP:https://budounooka.com/see/index.html#underground

 温泉「天空の湯」

温泉「天空の湯」外観

最後は、甲府盆地を一望できる温泉「天空の湯」。
なんと、先ほどのワインカーブから徒歩1分のところにあります!行かないはずがない。。

甲府盆地

▲目の前には、広大な甲府盆地が!

甲府盆地の上に位置しているこの温泉は、露天風呂から、甲府盆地の絶景を一望することができます!
残念ながら温泉内で写真を撮ることはできませんが、、この通り、温泉の外からと、同じ景色を眺めることができました!

温泉の食事処

休憩所

また、温泉施設内には、食事処や休憩所もあるので、ゆっくりとくつろげました。

食事処・休憩所から見る甲府盆地

この食事処・休憩所からも、甲府盆地を眺めることができるだなんて・・・なんとも贅沢な温泉なのでしょうか!!!ネーミングを考えた人も、"天空の湯"以外出てこなかったことでしょう...

実はこの温泉、上のワインカーブと同じ「ぶどうの丘」という施設に入っている温泉でして、このぶどうの丘には、お土産ショップレストランも併設しています!

お土産コーナー

▲お土産コーナー。山梨名物「ほうとう」も。

お土産コーナー2

▲もちろんお菓子も!お土産は色々ありました。

さらには、甲府盆地を一望できるお洒落なレストランがあるようなので、デートにもぴったりですね。18きっぷデートとかそそられる。。

お土産屋さんや、レストランについても、公式HPに紹介がありますので、もっと詳しく知りたい方はこちらもどうぞ→https://budounooka.com/eat/

 

●温泉「天空の湯」

・住所:〒409-1302  山梨県甲州市勝沼町菱山5093(ぶどうの丘内)
・アクセス:
勝沼ぶどう郷駅から、停留所「ぶどう丘」までバス(所要時間2分。300円)。下車して、徒歩0分。
または、勝沼ぶどう郷駅から、タクシーで8分。
または、勝沼ぶどう郷駅から、徒歩20分弱。
・営業時間:8:00〜22:00(最終受付21:00)
・休業日:年中無休(施設点検日は除く)
・料金
大人:610円
子供(3歳以上〜小学生):300円
※お一人様3時間まで
・公式HP:https://budounooka.com/relax/

 要確認!「バス利用時」の勝沼ぶどう郷の歩き方

最後に、バスを使った勝沼ぶどう郷めぐりについての注意事項です。

僕も記事を書きながら「重大な落とし穴」に気づいてしまったのですが、、

勝沼周遊バスガイドブック

(気づく人はいるのやら...)

なんとーーーー
バスの運行期間は、GW期間9月〜11月の土日祝日のみとなっていました。

そのため、18きっぷで来て、かつ、バス利用をお考えの方は、両者の利用期間から必然的に、9月1日〜10日までの土日のみということになります。。

勝沼周遊バス(HP)
https://www.fujikyubus.co.jp/pdf/katsunuma/katsunuma201909.pdf

僕は9月8日、前情報を何も調べず、18きっぷ&バス旅を楽しんでしまいましたが、それは運が良かっただけで、一歩間違えれば、徒歩orタクシーで回るしかありませんでした。

そのため、18きっぷ&バス利用のコスパ良旅行を楽しみたい方は、ぜひ9月1日〜10日までの土日勝沼ぶどう郷へお出かけくださいませ!
また、バスの運行時間もあるので、あらかじめ調べて、余裕を持って回ることをオススメします!

勝沼周遊バス(HP)
https://www.fujikyubus.co.jp/pdf/katsunuma/katsunuma201909.pdf

 

おわりに

18きっぷでの、勝沼日帰りワイン&温泉旅行はいかがでしたか??

ワイン好きはもちろん、普段あまり飲まない方も、手軽にワインにふれることができる機会だと思うので、ぜひ勝沼でワイン、そして絶景温泉をお楽しみくださいませ!

 

それでは良い旅を〜

いつもありがとう。