かねチャンの旅行記

”こんな世界もあるんだな”をお届中

Journey of self-discovery

大学時代の転機 #3「初めての長期インターン」【学生最後の日に思うこと。】

続いて3つ目。長期インターンについて。

ゼミでは、一人一役職を担当するのだが、そこでTeaching Assistant(TA)、いわば先生の授業での助手をやっていた。これがまあ何とも忙しく、履修していない授業でも、先生の授業には全て出なければならない。多いときは、週4日計6コマは、先生の授業を受けていた。それ以外にも、ゼミ生の課題提出状況管理(年間でレポート100件提出が一人当たりのノルマ)、授業の準備(ビデオデッキのセッティング、マイクスピーカーの調節、先生の用お茶(綾鷹に限る)の準備)、先生のお供(御年70歳)等々。今思えば、ただのTAではなく、良く言えば社長秘書、悪く言えば雑用係だった。頭の8割はゼミのことで常に頭がいっぱい。彼女と会う時間もうまくやりくりできていなかった。

しかし、このTAには立候補して、なった。もちろんこの忙しさは知っていた。それではなぜ自ら名乗り出たか?

実は大学2年次が、この変わったゼミ教授(前節「#2 ゼミ教授との出会い」参照)の、教員生活最後の一年だったのだ。すると、せっかく2年制(2、3年次)のゼミに入っても、この凄そうな教授に教わることができるのはたったの一年。となると、この先生の一番近いところで学びたいと思い、側近であるTAになろうと立候補したのだ(もちろん、先生がもう一年いたら、立候補はしていなかっただろう。2年間も、この雑用係りを務める覚悟はなかった...これを先生に見られたらちょっと怖い笑)。

そんなんで、僕のTA生活は始まった。毎日来る先生からのメールを返し、授業のアシスタントをする。授業で流す動画をスムーズに再生できずにいると、「バカヤロー!!!」と飛んでくる罵声(Wi-Fi環境も中々に最悪)。繰り返すと、「本当に使えないねえ。」としっぽり言われる。授業が終わると、翌朝5時までに、授業所感をメールで提出(まさに会社)。提出できていないゼミ生には、提出するようプッシュする(毎回同じ人...)。

そんな生活を半年間続けていたある日、あるゼミOBから声がかかった。「うちの会社で、長期インターン生として働いてみない?」ということだった。

このゼミは、20代にも続くゼミで、OBOG全員を含めると200名のネットワークであった。そのOBOGと現役ゼミ生交えて、毎年OBOG会や、追いコン、クリスマスパーティーなど、年3回ほど集まる会があった。そこで、僕のTAとしての働きぶりをみて、長期インターンのお誘いをしていただいたのだ。

当時の僕からすると、「なんか良さげなチャンス掴んだ!」とワクワクした。それまでのアルバイトはレストランだった。”長期インターン”という存在を知ったのも、この時が初めてだ。当時の僕からすると、”学びながら働けて、おまけにお金も稼げる”というのは、非常に輝かしかった。

会社は、教育系のベンチャー企業ということだった。特に教育には興味はなかったが(後に強い関心分野となる)、せっかくお誘いいただき、断る理由もなかったので、軽い気持ちで採用面接に行った。そして、2度の面接で、高校時代までの生き方や、ゼミ活動の話をして、合格を頂いたのだ。

それから本格的に業務が始まった。はじめに担当したのは、立ち上げから半年ほどの新規事業で、長期インターン紹介サイトの、法人営業であった。事業メンバーは合計で8人ほど。サイトを作り込むチームと、営業チーム。僕のいた営業チームは、総合商社出身で、その後世界放浪して入社したという社員(とてもエネルギッシュで、人間味が深すぎる素敵な方)と、大学3年生の先輩インターン2名と、僕の計4人だった(ちなみに、僕を誘ってくれたゼミOBは、サイト制作チームの社員。元コンサルティングファーム出身、クールでかっこいい方)。入社当時、具体的にやっていたことは、営業メール文の作成で、どんな訴求を、どんな文章で、どういう頻度で行うと、返信率を上げれるかという業務だった。

この時に気持ちとしては、周りの大学生が経験できていないような貴重な体験できてるなと思いながらも、特に楽しい!という気持ちでやっているわけではなかった。理由はシンプルで、教育に興味があったわけでもなく、誘われたから働いている、という軽すぎるマインドセット(業務への目的意識)であったからだ(本当に今だから言える)。さらには、当時19歳の僕のスキルと知識に対して、課題のレベルが高すぎたのもあるだろう。フィードバック時に、「ロジカルに考えてる?」と言われ、「ロジカルって何?」となったくらいだ。人材会社にいながら、リクナビの存在もしらなかった。読むように勧められた本も、最後まで読みきれなかった(今では、良書3選に入る本)。スキルも無いのに、それを養おうとするマインドセットもない。誘ってくださったOBの方の期待も裏切ってしまった。会社にとっては、ただのお荷物であった。そんな状態が、半年くらい続いた。これが、人生最大の挫折である。

その後、いくつかの機会があり、僕の業務への向き合い方が変わる。海外プロジェクト(次編に記載)、本、毎月の面談、インターンの同期。それらを通して、最後は自分のやりたいことを見つけて、退社した。

そんな貴重な”機会”を書き残しておきたい。はじめに、本について。

まずは、「思考」というものに向き合ったこと。「思考」というものを理解して、それを、日常に落としこみ、業務で活用する。その時読んだのは、『ビジネス思考法 使いこなしブック』(吉澤準特著)である。ビジネスで使われる思考法には、3種類①ロジカルシンキング、②ラテラルシンキング、③クリティカルシンキング、がある。その3つを使いながら、仕事をしているということだった。これを理解できたことで、社員の思考回路や、フィードバックを少しずつ的確に理解できるようになった。

ビジネス思考法使いこなしブック

ビジネス思考法使いこなしブック

  • 作者:吉澤 準特
  • 発売日: 2012/07/28
  • メディア: 単行本
 

(持っているので、読みたい人いたら貸します↑) 

その次に、身につけた「思考」を持ってして、「ビジネス」というものにも向き合った。どうすれば、売れる事業を作れるのかという、ビジネスの基本についてである。読んだのは、『ドリルを売るには穴を売れ』(佐藤義典著)である。有名な書籍でしょう。これを読んで、3Cや、4Pをはじめとした、マーケティングから商品開発までの流れを知ることができた。これは、新規事業開発チームに所属していたので、活かせる点が数多くあった。

ドリルを売るには穴を売れ

ドリルを売るには穴を売れ

  • 作者:佐藤 義典
  • 発売日: 2006/12/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

他にも、
イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)』(クレイトン・クリステンセン著)で、イノベーションはもちろん、世の中の業種を知り、
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』(マイケル・サンデル著)で、哲学や正義を理解し、その過程で思考力を養い、
ロジカル・プレゼンテーション――自分の考えを効果的に伝える戦略コンサルタントの「提案の技術」』(高田貴久著)(1回目は読みきれなかったやつ)で、ロジカルシンキングの理解を深め、提案について学んだ。
(全部持っているので、読みたい本あったら貸します↑)

これらは、上長である、元コンサル出身社員(ゼミOB)や、元総合商社出身社員からオススメされた本である。今思うと、当時の僕に必要で、ちょっと負荷をかけさせてくれるような良書であったと思う。このころは、月3冊読むことを目標にしていた(今はやっていない...)。

次は毎月の面談。毎月1時間、上長であるゼミOBの方(元コンサル)との月次面談があった。ここでは、業務への取り組みのフィードバックと、自分の将来の夢についても向き合ってくれる時間であった。ここでも、ゴリゴリに詰められる。振り返りや、目標設定がロジカルではないと、「どういう意味?」「アクションプランがアクションプランになっていない。具体的な行動に落とし込まれていない。」と。時間内で終わらないと、翌週再面談ということもあった。ただ、ここまで時間をかけて、丁寧にフィードバックを下さるのは、本当にありがたかった。自分にはもったいないと思いながら、その機会を存分に活用した。教育を本当に大事にしている会社であった。

そして、同時期に入った、インターン同期2人も刺激的であった。2人とも高校時代から自我が確立していて、生きている世界が数百倍広かった。はじめから優秀で、比べ物にもならなかった。しかし、いい人たちで、業務へのマインドが弱かった僕のことも気にかけてくれていた。辞めた後も、たまに近況報告し合う、仲である。彼彼女が常に成長していることを考えると、負けてられなくなる。2人はまだまだ先にいて、先に行くスピードも速い。書いている今も、いい焦りを感じる。偶然にも、新卒では、全員デジタル系の会社に入る。いつか一緒に仕事ができたらいいなと思って、励んでいきたい。

そんな契機を経て、最後に担当していた新規事業開発チームでは、”大学生が将来に向き合うきっかけを作る”事業案を考えていた。そこで、自分の過去・東南アジア訪問(下記参照)が重なり、事業案作りに没頭していた。めちゃめちゃ楽しかった。

kaneeeetaka.hatenablog.com

 最後は、当時の会社の事業計画的に、事業立ち上げとはならなかった(10億円の規模の事業を作ることが、新規事業開発チームに求められていることだった)。けど、個人的には満足できた。ビジネスモデルを考えて、資料に落とし込んだ。ビジネスモデルや、資料づくりは、上長や同期からも、評価された。何よりも、ビジネスの観点で、将来やりたいことに向き合えたことが良かった(この経験を経て、後の海外プロジェクトで、実際にこのビジネスモデルをアクションに移すことができた。次節はその話について・・)。

正直、この程度のレベルじゃ、一インターン生として、マインドセットができていなさすぎる。ベクトルが、会社ではなく、ほぼ全部自分に向いている。そもそも、成果も出せなかった。

しかし、当時の僕にとっては、人生レベルで貴重な経験となった。偶然ゼミOBからチャンスをもらい、ロジカルシンキングもしらないまま会社に入り、その中でビジネスというものに初めて触れて、自身の思考を成長させることができた。運がいい?。いや、それだけではない。ゼミTAとしての活動を評価してくれている人がいて、そこにチャンスが来たのだ。その後、挫折を経験し、その悔しさを糧に、這い上がった。食らいついた。最後は、当事者意識を持って、仕事をすることができた。受動的な生き方ー敷かれたレールの上しか歩いてこなかったーから、初めて主体的ー自ら行動を選択し、自ら手を上げるーな生き方なりかけることができた(その後の活動を通して、主体的になる)。今後生きていく上で、貴重な経験をさせていただいた場所だった。このどん底の経験、そしてそこから這い上がった経験は、今後壁に直面した時に思い出し、自分を奮い立たせたい。

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新規事業開発チームの皆さん

(大学時代の転機 #3「初めての長期インターン」 終わり。)

いつもありがとう。